大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

前橋地方裁判所 昭和40年(わ)81号 判決 1967年7月25日

被告人 松本泰三

主文

被告人は無罪。

理由

第一公訴事実、罪名および罰条

本件公訴事実は、

被告人は、

第一昭和三九年一一月二日午前一一時五〇分頃、沼田市東倉内町七五三番地所在群馬県立沼田女子高等学校内校長室より会議室へ通ずる出入口付近において、同校教頭小淵正巳(四八才)が会議室に集合していた同校教職員に対し、同校校長から群馬県教育長通達昭和三九年教第八七〇号「県立学校職員の服務の監督について」を教職員に伝達のため、職員室への集合方を指示した際、右手手掌で小淵の右胸部を一回突くの暴行を加え、もつて同教頭の職務の執行を妨害し

第二前同日正午頃、同校校長金井久七(五五才)が会議室において前記教育長通達を教職員に伝達しようとした際、前記出入口附近において、両手手掌で金井の上腹部に近い前胸部を一回突くの暴行を加え、もつてその職務の執行を妨害し

第三同月一九日午後四時三〇分頃、校長室北側廊下において、小淵教頭に対し、同校教諭黒岩勝の年次有給休暇承認の要求を重ねたがこれを拒否されたので、右休暇を承認させるため両腕を組んだままその肘で同教頭の上腹部を一回突くの暴行を加え、もつてその職務を強要し

第四同年一二月九日午後五時三〇分頃、職員室において、小淵教頭に対し、前記黒岩教諭及び被告人の年次有給休暇承認の要求を重ねたがこれを拒否されたので、右休暇を承認させるため、右手拳で同教頭の右前胸部を一回突いた後、更に右手手掌で一回同部を突くの暴行を加えて安静約一週間を要する右前胸部筋痛症の傷害を負わせ、もつてその職務を強要し

たものである

というにあり、

その罪名および罰条は、公訴事実第一および第二はいずれも公務執行妨害刑法九五条一項、同第三の事実は職務強要同法九五条二項、同第四の事実は職務強要同法九五条二項、傷害同法二〇四条である。

第二事実の認定および法的評価

(公訴事実第一及び第二について)

一  当裁判所が証拠によつて認定した事実

1 被告人の地位等

被告人は昭和三八年四月から沼田市東倉内町七五三番地所在群馬県立沼田女子高等学校(以下沼田女子高校という。)に国語科担当の教諭として勤務し、同四〇年二月五日付で本件各起訴事実に関連して懲戒免職処分に付されるまで同校で教鞭をとつていた者である。ところで同三九年一一月ないし一二月当時は同校教職員五一名(全日制四五名、定時制六名)中校長金井久七、教頭小淵正巳および公仕横坂みのるの三名を除く四八名が群馬県立高等学校教職員組合(以下「高教組」という。)沼田女子高校分会(以下「沼女分会」という。)員であつたが、被告人は同分会の教文兼情宣部長として執行部の一員に属していた。

2 群馬県教育長通達昭和三九年一〇月二三日付教第八七〇号「県立学校職員の服務の監督について」(以下「八七〇号通達」という。)前後の事情

(1)  勤務時間内における組合用務のための出張に関する従来の取扱い

昭和二二年五月頃、群馬県では当時の県知事と高教組の前身群馬県中等学校教員組合との間で組合専従者を認めるほか、組合運動のための旅行は学校長の諒解を得て出張扱いとするが旅費は支給しない旨の協定書を取り交わし、勤務時間内の組合用務のための出張が認められるようになつたが、その後右協定書は昭和二三年政令二〇一号により失効した。しかし、右当事者間においてはそれ以後も組合役員の専従制等と共に勤務時間内の組合用務のための出張を従来どおり認める旨を事実上確認し、「組合出張」という呼び名のもとにこれを出勤扱い(年次有給休暇の扱いとは異る。)にすることが慣行になり、群馬県教育委員会(以下「県教委」という。)当局においてもこれを黙認したまま、本件の時点にまで至つた。

右は沼田女子高校においても同様であり、分会長が組合用務のための出張を一括して校長に口頭で申し出、これに対し校長は原則として黙認することが慣行化されていた。

(2)  「組合出張」に対する県教委当局の対策

昭和三七年頃、県教委当局においては生徒の学力向上、非行化防止の目的で正常な授業時間の確保を教育行政方針として打ち出し、その具体的施策を行つていたところ、たまたま相当数の校長等から勤務時間中に組合用務で学校を離れる者が多くなつて困るとの苦情を聞くに及んで同三八年度末、これに関する実態調査をした結果、年間授業日に、平均して一校約一〇〇名、多い学校で約一八〇名がいわゆる「組合出張」を行つていることが判明した。そこで当局では右実情に鑑みて教職員に職務専念義務を衆知せしめ、正常な服務を確立することによつて授業時間の確保を全うしようと考え、同三九年一〇月二三日付をもつて県教委教育長名義で各県立学校長あてに、「県立学校職員の服務の監督について」と題する本件八七〇号通達を決定するに至つた。

(3)  八七〇号通達の内容と具体的な通達の手続

八七〇号通達の内容は、「教職員の服務上の指導監督についてはかねてから格別の配慮を煩わして来たが、近時教職員が正当な理由なく勤務時間中に学校を離れ、職員団体の用務に従うことが多くなつたのは甚だ遺憾である。このような行為は学校における正常な授業計画の遂行を阻害し、学校運営に多大の支障を与えることになり、また、勤務時間中職務に専念しなければならない公務員の義務に違反するものであるから、今後かかる行為についての監督を厳正にし、特段の指示のない限りみだりにこれを容認しないよう留意して、正常な授業計画の遂行と学校経営の秩序維持に努められたい。なお、この趣旨に違反したと認められる場合の措置については、別途指示するものとする。」というのであり、昭和三九年一〇月二八日県教委当局は県立学校長全員を県職員研修所に集合せしめ、教育長田村遂、教職員課長河野好雄、人事第一係長中野敏宗等が出席して八七〇号通達の趣旨および内容につき説明、通達を行つたが、これに関連して右中野から個別的指示として日々の各学校における不在教職員を全体の五パーセント内に止めるべき旨(これを「五パーセント規制」という。)の説明がなされた。この「五パーセント規制」の趣旨も授業時間の確保の目的で基準化を図る意味で指示されたものであり、従つて公務出張、年次有給休暇等がその対象とされていた。そして「五パーセント規制」は、八七〇号通達と一体として各学校長に通達指示されたものであり、この結果、従来慣行になつていた「組合出張」を否認し、組合用務のために学校を離れるにはすべて年次有給休暇を得なければならず、さらにそれも「五パーセント規制」により制限されるという取扱いに変更することになつた。なお「五パーセント規制」における不在者五パーセントという根拠は文部省告示の高等学校学習指導要領に規定する単位修得を基礎にした場合各校一日につき教職員数の何パーセントの余裕があるかという観点から算出されたものであつた。

3 八七〇号通達等の示達状況

(1)  群馬県下における示達状況

前記一〇月二八日の会合の場において、前記中野から各学校長に対し、本件通達および個別的指示を、一般教職員には一〇月三〇日示達し、一一月一日から発効する運びになるように、ただし、学校行事等で遷延する場合には示達予定を知らせるようにとの指示があつたため、これを受けた各学校長は自校においてそれぞれ示達をしたが、県下五一校中一〇月三〇日までに示達した学校は三一校、同月三一日には一一校、一一月一日には一校、同月二日には五校、同月四日には二校、同月五日には一校という状況であつた。

(2)  沼田女子高校の場合

沼田女子高校校長金井久七(以下「校長」という。)は、一〇月二八日夜以降同校教頭小淵正巳(以下「教頭」という。)と通達等の内容について確認し、示達の日取りにつき、たまたま同校では同月三一日(土)および一一月一日(日)両日が文化祭の日程、同月三日は祝日、四日は代休になつていたため同月二日に行う旨打ち合わせ、また、当日の日程については、文化祭後片づけを午前中行い、午後零時半頃から文化祭の慰労会を会議室で行うこととし、示達は午前一一時半から職員室で行うとの予定を組んだ。

一方、沼女分会においては一〇月三〇日に高教組本部からの電話連絡により本件通達等の概略すなわち具体的には従来の組合出張を大巾に規制し、日々の不在職員を五パーセント内に制限される旨を知らされ、その際校長交渉によつて本件不当な通達等を撤回させるようにとの指令を受けたため緊急執行委員会を開いて右指令を確認した後、翌三一日の分会執行委員会では本部役員も加わり通達等の不当性を確認し、翌一一月一日分会会議を開いて分会員に通達等の概略を知らしめた。

4 本件公訴事実当日の沼田女子高校の動静

昭和三九年一一月二日午前八時二〇分頃から行われた職員朝会の席上、予め校長の命を受けた教頭は、職員に対し、本日重要な示達があるから全員一一時三〇分に職員室に集合するよう指示し、その後午前九時頃から各職員は生徒と共に文化祭の後片づけに取り掛つた。

これに対し沼女分会執行部は、午前一〇時三〇分頃執行委員会を開き、本件通達は重要な問題を含んでいるため予め示達前に執行部にその内容を知らせること、また、示達に際しては充分な説明と質疑応答が必要であるが当日は慰労会が後に控えている関係から示達を一一月五日に延ばすこと等を校長に交渉し、同時に分会会議を開いて通達等について話し合う旨を決定し、これに基づいて塩田教諭が数名の職員に一一時半に会議室に集まるよう伝えた。

一方、教頭は、右塩田と同時刻頃校長の命を受けて一一時半に職員室に集まるよう朝会の席上指示したと同様の指示を各職員間を廻つて個別的に確認した。

その後午前一一時頃、当日不在の上野分会長を除いた分会執行部全員は、前記決定に基づいて校長室に赴き、同室内で校長および教頭等と示達延期方を中心にして交渉をもつたが、校長は文化祭のため示達が遅れている関係もあつて示達の延期その他の要求を拒み、意見の一致をみることができなかつた。

右の交渉途中の午前一一時一〇分頃、黒岩教諭は交渉を中座して放送室に赴き、「これから分会会議を開くから分会員は会議室に集まつてほしい」旨放送したため、これを受けた分会員等は続々校長室隣の会議室に参集した。

かくして一方では校長室において教頭立会のもとに被告人を含めた分会執行部員四名と校長との間で交渉が行われ、他方隣室の会議室では分会員多数が雑談形式で通達等に関して話し合いながら交渉の成り行きを真剣に見守る形で集合していた状態が続いていた。その間午前一一時二〇分頃、黒岩教諭が交渉経過報告のため会議室に赴いた後同一一時半頃被告人も同室に赴き、同室内北側の黒板東端前附近に立つて同室に参集している分会員に対し、校長との交渉経過を報告し始めたところ、その最中の同一一時四〇分頃、教頭が校長に「時間になつたから示達しよう」と促し、南方の窓の方を向いていた同人より先に同室内北西の会議室に通ずるドアー附近に至り、ドアーを手前に半開きにし、右手でドアーの把手を握つて身体を会議室方向に乗り出すように前屈みになり、会議室内に向つて「先生方時間が来ましたから職員室に集まつて下さい」と指示したが、同人より約二メートル離れた前記黒板の前附近の地点からこれを認めた被告人は、交渉の最中であるし、また、自己がその経過報告をしている時でもあるので右教頭の言動を不当に思い、右指示がなされた直後同人の面前に歩み寄つて、「いま話し合い中ではないですか」と言いながら自己の肘を曲げたまま一回同人の胸部中央部附近に右手手掌を押し当てて制止した。しかし、このために教頭の位置が移動させられたことはなく、多少上体が揺れた程度であつたものと認定される。

教頭は右制止行為の直後、みずから一、二歩校長室内に後退してから会議室の分会員等に向つて「これは命令だ」と大声で怒鳴り、被告人はこれに対し、「命令なら紙に書いて下さい」と応じた。

右制止行為直後、被告人は、示達をすべく教頭同様分会執行委員の諒解を得ないで前記校長室内南側の位置から同室北側出入口方向に向つて歩いてくる校長を認めて同人の方に歩いて行き、同室内衝立の南側、出勤簿台中間の東前附近において同人と正対し、「待つて下さい。話し合い中でしよう。」と言つて両肘を曲げたまま左手にノートを持ち、右手はひらいて両手を前に出し、一回同人の胸部附近を押して同人を制止した。

このため校長は同室南側方向に一、二歩後退してやや身体の重心が後ろに傾いたが、同人の後方で咄嗟に肘を曲げたまま両手手掌を自己の胸の前に出して同人を支えようとした生島教諭の手には届かなかつた。この時、交渉を一方的に打ち切つた校長等の不誠実な態度に憤りを感じつつ校長の後から歩いてきた持田教諭が校長の方を向いて同人と被告人との間に割り込み、その場をとりなしたが、校長は被告人に対し「暴力だ」と叫び、同室北側の出入口附近にいた教頭に「証人になつてほしい」と発言した。

その後同一一時五〇分頃から午後三時頃まで、分会執行部と校長との間に交渉が続行され、その間示達の延期、交渉の場における教頭の同席問題等について話し合われ、結局当日示達を行う代りに校長においてこれに際し充分な質疑を受けて説明をし、更に不十分な点は一一月五日に再び説明をするということで意見の一致をみ、一一月二日午後三時過頃から会議室において示達がなされた。

5 証拠等

以上1ないし4の各事実は、<証拠省略>を総合してこれを認める。

ところで、前記認定に関し、特に重要と思われる点について、以下若干の説明を加えていく。

(1)  始めに

証人小淵正巳の当公判廷における供述および公判調書中の証人金井久七の各供述部分の信憑性については、これらの証拠がいわゆる被害者の証拠として中心になるものであつて、事実本件記録に現われた他の証拠とも部分的に一致し、信用できる点があることは否めないが、しかし、被害者等は被告人と対立する管理者側の立場にあること、被害者等は本件当時八七〇号通達の示達のことのみに傾注し、これが円滑に行かなかつたため被告人等の言動に不快感を抱き、興奮すらしたため冷静沈着かつ正確な状況の観察と記憶がなされているかどうか疑わしいこと、さらに被害者等は立場上当面の責任者として県教委ないし捜査当局に対する顧慮のゆえに自己側に偏して有利に供述する可能性が強く、現にその兆候が散見しうること等の点から、右被害者等の供述を直ちに全面的に信頼できないものと言わざるを得ない。

もつとも、他方いわゆる本件組合側の証人についても、その被告人とのつながり等の関係から直ちに全面的に信頼できないものである点については変りはなく、本件事実認定については、かような意味から慎重の上にも慎重を期して論理法則、経験法則等にのつとり、充分に各証拠の内容を検討咀しやくしなければならない。

(2)  教頭に対する制止行為の程度

証人小淵正巳および同井上欽司の当公判廷における各供述によると、教頭は被告人に突かれて上体が揺れ動いたと述べているが、教頭自身『余り突き方は強くなかつた(一〇八一丁表)。』『少し上体が後ろに動いた程度だと思います(一〇八一丁裏)。』『痛いという感じは受けなかつた。ぐつとこうなつた程度です(一〇八二丁裏)。』旨供述していること、前示の如く制止行為に際して被告人の右肘は曲つており、また、右手手掌で行われたものであり、このために教頭の身体が移動したことは認められないこと、会議室において真近で目撃していた備前島恒夫、中島侑三等は揃つて軽く制止したとの印象で受けとめていること、前記井上欽司は会議室においても本件ドアーから最も遠い南西隅に位置していたもので、同人の供述全般を通じて観察が不充分であること、さらに教頭が「これは命令だ」と怒鳴つたのは被告人に対してではなく会議室内に向けられたこと(一二七一、一二七二丁)等の事情のほか被告人のその時の目的意図を併わせ考えると、「突いた」ものとは観念できないのであり、結局強くない程度に右手手掌を押し当てその結果上体を多少揺れさせる程度であつたと認定するのが相当である(右は反対に被告人が当公判廷で供述するような触れるか触れない程度のものでもない。)。

(3)  校長に対する制止行為の場所および程度

第三回ないし第七回公判調書中の証人金井久七の各供述部分によると、本件時点に校長は会議室に通ずるドアーの把手に手を掛けて開き、同室内をのぞくようにした瞬間会議室内の被告人から上腹部を両手手掌で一回突き上げるようにして突き飛ばされ、二、三歩よろめいて校長室内衝立のところに左足が触れたようにして踏みとどまり、右足は上に上つたが転倒しないで済んだ旨の記載があり、証人小淵正巳および同竹内武平の当公判廷における各供述はこれに副うものである。

しかし、以下の理由により前示場所(校長室内衝立の南側附近)において校長に対する制止行為があつたものと認定される。

<1> まず第七回公判調書中の証人金井久七の供述部分中には校長が会議室の中をのぞく瞬間に被告人につかれた旨の記載がある(一〇三〇丁)が、これを前提にすると少なくとも当時被告人は会議室ドアー附近に位置していて右の行為に及んだことになるが、証人備前島恒夫、同中島侑三、同川崎浩輝、同塩田直衛等の当公判廷における各供述によると、被告人は教頭を制止した後は校長室内に入つて行き、その後会議室に戻つてきていないことが認められ、さらにこれら多くの証人達は共通して教頭に対する制止行為は目撃しているが、その直後の時点での校長に対する被告人の行為は全く目撃していないことが明らかであつて、とくにこの点については検察官申請の証人井上欽司の当公判廷における供述もまたその例外ではない。右証人達の会議室における位置関係からみてもドアー附近で事実一定の事態が発生したとすれば目撃し得たはずであつた。

次に、教頭の目撃状況について吟味すれば、同人が目撃していたという地点がはなはだしく曖昧であつてこの点に関する同人の供述は信頼できない。

同人は、まず昭和四〇年九月二二日付検証調書には、「金井校長が其処(同調書添付見取図第二図中2点)で被告人から暴行を受けたとき、私は此処(同17の点)にこのように立つていました(立会人は17点に北側の窓に接して南向きに立つた。)。それから私は此処(同18点)へ移動しました(一一八丁表~同裏)。」と指示した旨の記載があり、右17点とは校長室内衝立の北西の地点である。ところが第八回ないし第一〇回当公判廷における同人の各供述では、右18点附近すなわち衝立と校長室廊下側出入口との同附近で校長が暴行を受けて退いてくるのを認めたと供述し(一〇八五丁~一〇九六丁、一二二五丁裏~一二三七丁、一二七六丁~一二七八丁、一四一三丁~一四二四丁)、第一四回公判廷における同人の供述では結局右検証調書で指示した17点で校長が自分の眼前を右から左へ退つていく状況を目撃した旨の供述に変更しており(一八六七丁~一八八三丁)、その間の供述ははなはだしく曖昧である。校長の姿が自己の眼前を右から左に移動したか、あるいは自己の前方から手前に退いてきたかということは全く異質のものである。

さらに竹内教諭の目撃状況を考察するに、同証人の当公判廷における供述によると同人は午前一一時四〇分か五〇分頃自発的に会議室から職員室に行き、同室で坂爪教諭と五、六分話をした後会議室に戻る途中、校長室内で校長が衝立のところで右足をあげて踏みとどまつている姿を目撃したというのであるが、証人井上欽司、同黒岩勝および同中島侑三の当公判廷における各供述によると、竹内教諭は教頭から「命令だ」との指示があつた直後会議室を出たことが認められ、一方、被告人の校長に対する制止行為は、右指示の直後に発生したものであることが明らかであるから、竹内教諭が右制止行為の状況を目撃することは時間的な面からも疑問が多いうえに、同人の供述中には「私の前に小淵先生が横切つて、あそこに当時出勤簿がありましたから出勤簿の方へ、校長先生からいえば左横の方へ出勤簿の前の方へ、小淵先生が私の前の方をつつ切つて移動したのを覚えてます(一九九二丁)。」等のように重要な部分で証人小淵正巳の当公判廷における供述、公判調書中の証人金井久七の供述部分と合致しない部分があり、以上の諸点を併わせ考えれば結局同人の供述を含めて証人小淵および同金井の供述あるいは供述部分は措信し難いものといわざるを得ない。

そして被告人が教頭を制止した後校長室に入つていつたことのほか、証人持田亘久および同生島尚子の当公判廷における各供述を総合するとき、前示のごとく衝立南側で校長に対する制止行為があつたものと認定するのが妥当である。

<2> 前示校長に対する制止行為の程度は、被告人の行為によつて校長が一、二歩後退してやや身体がうしろに傾いたこと、持田教諭が中に入つており、また生島教諭が反射的に校長の身体を支えようとしたこと等から考察すると、その直前の教頭に対する制止行為よりは強度のものであるが、前後の事情から被告人は校長を制止すべく押したものと認められ、さらに校長の身体の傾き加減も左程ではなく、同人のすぐうしろで手を出した生島教諭のもとまで届かなかつたこと等からおのずからその程度が知れる。

なお、校長は、第三回および第六回公判調書中の供述部分において被告人の制止行為により踏みとどまつたとき左足首がくきつという感じがして翌日頃から痛み出し、一一月八日頃痛みがとれた(二七一丁、八二〇丁)と述べた旨の記載があるが、同人自身が認めるように同月三日同人は川手山へハイキングに行き往復一一キロメートル位も歩いていることからしても、にわかにこれを措信し得ない。

二  被告人の教頭および校長に対する各行為の法的評価

1 教頭に対する行為について

(1)  構成要件の該当性

前示当裁判所が証拠によつて認定した事実中教頭に加えられた被告人の制止行為は、本件通達等の示達のため会議室内の職員等に対し職員室への集合方を指示する教頭の職務行為の執行に当り、これに対して加えられたものと認められるので、右被告人の所為は刑法九五条一項に規定する公務執行妨害罪の構成要件すなわち「公務員ノ職務ヲ執行スルニ当リ之ニ対シテ暴行又ハ脅迫ヲ加ヘタル者」に該当する。以下、同構成要件中、とくに本件に重要と思われる要件につき該当すると認めたゆえんを説明する。

<1> 「職務ヲ執行スルニ当リ」との要件について

この点に関し弁護人は、本件教頭の集合方の指示行為は八七〇号通達が発令の当時重大な瑕疵を帯び現行法秩序に違反し刑法上保護すべき適法な公務としての実質を備えていないと主張する。

なる程本罪における公務とは、刑法法規上保護すべき適法な公務としての実体を備えていなければならないが、右適法性は、国家的利益と個人的利益とを対比しつつその有無が決せらるべきであるところ、本件教頭の指示行為は、学校教育法施行規則二二条の二、六五条、昭和四一年県教委規則一三号による改正前の群馬県立高等学校管理に関する規則一四条三項の規定からも明らかなように校長の八七〇号通達示達の行為を補佐し、容易にするための行為であり、具体的には前示のごとく一〇月二八日の夜以降予め校長と相談のうえ右指示方を要請されていた事情から考え、右集合方の指示行為は、その抽象的および具体的権限内の行為であると認められるから、一応刑法法規により保護された公務であると解される。八七〇号通達等は、後記のごとく法の趣旨等に反し不当なものではあるが、右は被告人の行為の違法性の判断事情にはなりうるが、公務の適法性自体を否定するものではない。

よつてこの点に関する弁護人の主張は採用しない。

<2> 「暴行」の要件について

本罪における暴行とは、公務員に向けられた有形力の行使をいうが、これは公務の執行を妨害しうる程度のものでなければならないと解せられる。そこでこの観点から本件制止行為を考察すると、その程度は前示のごとく多少上体が揺れた程度であつて、押し当てる力も強度ではなかつたのであるが、しかし、制止行為も有形力の行使に変りなく、さらに本件制止行為は、教頭が意に介しない程軽微なものではないから公務の適正な執行を害される可能性がないものとはいえず、従つて「暴行の要件」をも充足しているものと解される。

(2)  違法性

ところで、ある行為が違法類型としての構成要件に該当するとき、これによつて一応違法性は推定されるが、違法性は価値判断であるから健全な社会通念に照らして考察し、当該行為が憲法以下の法体系によつて維持されている法律秩序をなんらみだすものではなく社会的に許容されるものであるときは、正当防衛、緊急避難等の要件を具備していなくても刑法三五条の法理に従い、これを実質的違法性のない正当な行為として、犯罪が成立しないものと理解されるべきである。そして実質的違法性の判断は、結局各事案により決定されることになるのであるが、しかし、右の違法性の本質と刑法三五条ないし三七条の規定等よりみずから右判断の具体的な基準が導かれる。すなわち、その行為の動機、目的が前記法律秩序によつて認められている正当なものであり(目的の正当性)、その手段方法につきその際における状況に照らしてそのような行為に出ることが緊急を要する止むを得ないものであつて、その行為のほかにこれに代わる適当な手段方法を見出すことが不可能もしくは著しく困難であること(手段方法の相当性、補充性)、侵害された法益の価値、程度がその目的との関連上軽小で社会通念に照らして右の侵害が許容されるものであること(法益の権衡性)等の要件が備わつたとき、当該行為は実質的に違法性がないものとされるべきであり、右判断に当つては法律秩序全体の精神と社会主義の理念に基づき充分検討されなければならない。

かくして本件被告人の教頭に対する行為については右の基準に照らして考察し、結局以下に説明するごとくその実質的違法性は否定され、罪とならないものと判断される。

<1> 目的の正当性

本件被告人の行為の動機目的の正当性に関しては、第一に八七〇号通達及び五パーセント規制につきその当否を、第二に教頭の集合方の指示行為に至るまでの校長、分会執行部間の交渉とこれに対する校長、教頭の態度の各当否をそれぞれ考察する必要がある。

(第一点について)

(イ)  八七〇号通達は、前記のごとく勤務時間中に職員団体の用務に従うため学校を離れることを原則として否定するものであるが、果たしてこの取扱いは県教委当局の説明するごとく地方公務員法(以下「地公法」という。)三五条にいう職務専念義務の趣旨に合致し、妥当な処置か。

この点に関しては、弁護人はそもそも国家公務員についての「職員団体の業務にもつぱら従事するための職員の休暇」(昭和二四年人事院規則一五-三)および「職員団体に関する職員の行為」(同規則一四-一)との対比上、地公法三五条の特例としての「職員団体の業務にもつぱら従事する職員に関する条例」(昭和二六年群馬県条例六号)および「職務に専念する義務の特例に関する条例」(同条例五号)について、右六号条例は専従役員のための休暇制度であり、五号条例二条三号においては職員の日常の組合義務に対する職務専念義務免除の制度が規定されているものと解されるから、就業時間内組合活動についてこれを否認した八七〇号通達は右五号条例の趣旨に反し無効であると主張する。

しかしながら右五号条例は、昭和二六年一月一〇日地方自治庁乙発第三号の通知として示された準則にのつとつたもので、同条例二条三号はもともと職員団体の専従者を意味しているものと解される。すなわち五号条例は、専従職員に関し職務専念義務の例外としての根拠法規たる意義を有し、さらに専従休暇の期間、効果等について具体的な規定を設けたのが六号条例であると解するのがその文理にも合致し、妥当である(もつとも五号条例制定の必要性自体は問題であるが。)。

従つて右弁護人の主張は採用できない。

ところでそもそも組合用務のため勤務時間内に職場を離脱することは原則として労働契約の本質から考え許されないものであると解され、地公法三五条もこの趣旨に添うものである。しかし、地公法は一方において職員団体の結成を認めているからその合法的活動を全うさせるために本件当時直接の規定はなかつたが(現行地公法五五条の二第一項但書参)、昭和四〇年法律七一号による改正前の同法五二条五項などから専従職員制度を肯定していたことは明らかであり、前記五号および六号条例も同趣旨の規定であると解せられる。ただ、これ以外の職員が勤務時間中に職員団体の用務のため職場を離脱しうるとするためには、法律または条例による特別規定を設定するのを本則とする。

しかしながら右特別規定を要するとするのも原則論であり、本件のように長年に亘つて県教委当局はじめ管理者側がこれを承認ないし黙認し、「組合出張」という名で慣行化されている実体があるときは、地公法三五条の規定にもかかわらず、憲法二八条の精神および職員団体の結成を認めている地公法の規定自体の趣旨から考えて、右の本件「組合出張」を規制するためには少なくとも充分な事前の協議をすることが望ましかつた、と思われる。

(ロ)  次に五パーセント規制について判断する。

地方公務員たる高等学校の教職員についても労働基準法(以下「労基法」という。)三九条の適用があり、年次有給休暇請求権(以下「年休権」という。)が認められ、群馬県においては昭和四一年条例四一号による改正前の群馬県立学校職員の勤務時間その他の勤務条件に関する条例(以下「勤務条件に関する条例」という。)八条により一年を通じて二〇日間教職員の請求のあつた場合に与えられることになつている。

ところで五パーセントの算出根拠については、判示のごとくもつぱら授業時間確保の観点から単位修得を基礎として割り出されたものであり、群馬県教育委員会作成の昭和四一年一〇月二六日付回答書記載の算出方法も一応それなりに首肯し得ないではないが、しかし、それが他の法令または条例にも合致するものかどうかは別に考察を加える必要がある。けだし右の規制は証人中野敏宗の当公判廷における供述によつても明らかなごとく拘束力ある基準としての機能を有するものとして設定されたものであるが、元来前記勤務条件に関する条例八条五項によれば、有給休暇承認の基準およびその他必要な事項は人事委員会の承認を得て教育委員会規則で定めることになつており、右の教育委員会規則は、法令または条例に違反しない限りにおいてのみ制定しうる(地方教育行政の組織及び運営に関する法律=以下「地行法」という=一四条一項参)ことは当然のことだからである。

そこで五パーセント規制は、一年を通じて二〇日間の年休権行使を制限するかどうかの点が問題とされる。この点につき、証人中野敏宗の当公判廷における供述によると、昭和三八年度の年次有給休暇が消化されている現状は年間一人平均四・五日位であつたが、これを学校内消化率としてみた場合は約二パーセントであり、仮りに従来の実績の二倍の日数を消化したとしても四パーセントで一人当り年間約一〇日に過ぎないし、さらに残余の約一〇日間は夏季休業日等の休業日に配分し完全に消化できるから、結局問題はないとの県教委当局の結論に達したと述べている(二一七五丁~二一七七丁、二一八六丁)。

しかしながら、年次有給休暇は、労基法によつて認められた労働者の権利であり、解釈例規(昭和二二年基発一七)がその運用について「年次有給休暇は使用者が積極的に与えることを強調し徹底させること」と示している点から考えても、授業時間の確保という名のもとでこれを不当に制限することは許されないと解すべきであるから、現実の年休権の消化率が低いからといつて年間二〇日間の権利に制限を加えるごとき基準は設定できない。

本件五パーセント規制の対象には、年次有給休暇に限らず公務出張等をも含む趣旨であるとされるから、五パーセント全員が年休権を行使できるというわけではなく、また五パーセント規制が日々五パーセントの不在者が必ず出ることを予想して設定されていること等から考え、果たして五パーセント規制の結果が、年間二〇日間という法の要請を損わぬものであるかどうかははなはだしく疑問であり、また、たとえ損わないとしても労基法三九条三項但書ないし前記勤務条件に関する条例八条三項一号に規定する時季変更権との関係から決定的な破綻を生ずる。すなわち、年休権の性質は、労働者が当然に有する一定日数の有給休暇につきその時季を指定する権利であると解されるから、有給休暇の請求があつた場合使用者が時季変更権を行使しない限り有給休暇は指定された日に決定されることになる。従つて使用者としては具体的個別的に事業の正常な運営(=校務=)に支障があるかどうかを判断して変更権を行使するかどうかを決しなければならないのである。一般的に消化しきれない日数は休業日にとるべきこととする五パーセント規制は、使用者が始めから自己の欲する時季を指定することを意味することにほかならない。また仮りに五パーセント規制が校務の支障性を判別する基準という趣旨だとしても、校務に支障を及ぼすかどうかは具体的な学校の事情に即して人員の補填の可能性等を見極めていかなければならないものである。

以上の点は教育という職務の特殊性を配慮してもなんら異るものではなく、要するに五パーセント規制は労基法三九条および前記勤務条件に関する条例八条の趣旨に反し不当である。

(第二点について)

本件八七〇号通達等の示達をめぐつて行われた校長、分会執行部間の交渉に関しては、「沼女分会は単一組合たる高教組の分会ではあるが、個別的な意思の集合を統一的な団体意思に組織しうる独立の実体および機構を有していたものと認められ、かつ、前示のごとく現に一〇月三〇日高教組本部から示達をめぐる校長交渉の指令があつたこと、」「本件交渉は前記のごとく重大な勤務条件に関する通達の示達をめぐつてのもので、校長は右事項につき適法に管理し決定する権限を有していないものではないこと」等の事情が認められるのであり、右の交渉は昭和四〇年法律七一号による改正前の地公法五五条、昭和四一年条例三七号による廃止前の職員団体の行う交渉に関する条例の諸規定に照らしても、生存権に由来する憲法二八条所定の基本的人権の一作用として保護するに値する交渉と解するを相当とする。従つて右の交渉はもとより互いに速やかに、かつ、円満に解決すべき主旨により誠実と責任をもつて行わなければならない(前記職員団体の行う交渉に関する条例三条参)。

しかし、前示事実からもうかがえるごとく校長および教頭は本件通達等の示達を急ぐ余り、交渉の速やかな円満解決の精神を忘却し、わずか四〇分ほどで交渉を一方的に打ち切つたのであるが、その後約三時間に亘つて交渉が再開続行されたことからも当時交渉の余地は充分残されていたことが認められるから交渉を一方的に打ち切つた校長および教頭の態度は誠実な交渉の義務に違反する不当なものといわざるを得ない。

かくして被告人が教頭に対して加えた公務執行妨害の所為の動機目的は、前示のごとく本件通達等の示達に際し予めその内容を概ね察知してこれを不当なものと判断したので少くとも充分な説明なしには示達は受けられないと思惟し、文化祭慰労会の関係などから本件当日の示達につきその延期方を要求して校長との交渉を行つていたところ、まず教頭がなんらの断わりもなく一方的に示達を強行しようとして集合方を指示したものであり、これを認めた被告人としては交渉途中でもあるし、また、分会員に交渉の経過報告をしている最中でもあるので教頭の右言動を不当に思い、これを制止すべく本件所為に及んだものと認められるところ、すでに考察したごとく八七〇号通達による五パーセント規制は法律および条例の趣旨にそれぞれ違背して不当なものであるのみならず、さらに本件直前の右教頭の態度も誠実な交渉の義務に違反する不当なものであつて、かかる通達等の示達を容易ならしめるために行われた教頭の指示行為を制止せんとした被告人の本件動機、目的は、法律秩序全体の精神と社会的正義の理念に基づき正当なものと解するを相当とする。被告人らが不当な通達等の示達でも少なくとも充分な説明を受けうる五日になら受けようという意図で交渉に臨んだ点に思いを至せばなおさらのことである。

<2> 手段方法の相当性、補充性および法益の権衡性

被告人が本件制止行為に及んだ直前の状況は、すでに明らかにしたように不当な通達等の示達が教頭の集合方の指示行為により充分な説明を受けぬまま強行されることが目前に切迫し、しかも右指示行為自体不当なものであつたこと、また被告人は教師であると同時に労働者であり、ことに当時は分会執行委員たる地位にあつたこと、本件通達等が重大な勤務条件に関連し、被告人らの生存権に直結する問題を含んでいたこと、すでに認定したごとく本件制止行為の態様は有形力の行使といつてもとくに粗野とはいえず、むしろ穏当なものであり、その程度も一回的で軽度であること等の事情を考慮すれば、本件所為は緊急を要する止むを得ないものでその手段方法は相当であり、被告人にとつてみれば経過報告中交渉を一方的に打ち切つて集合方を指示している教頭の姿をたまたま認めたのであるから、当時とくにこれに代わる適当な手段方法を見い出すことは不可能ないし著しく困難であつたことが認められる。そして被告人の制止行為によつて侵害された法益の価値程度は、公務保護の面と教頭自身の身体の自由の面の両面から考えてもいずれも被告人の本件動機、目的の保護に比較すると軽小であると判断するのが相当である。

よつて本件教頭に対する被告人の所為は、法律秩序をみだすものではなく、社会的に許容されたものであると認められ、従つて暴行のみならず公務執行妨害全体としての実質的違法性がないから罪とならない。

2 校長に対する行為について

(1)  構成要件の該当性

前示当裁判所が証拠によつて認定した事実中校長に対して加えられた被告人の制止行為は、校長の本件通達等の示達という職務の執行に当り、これに対して加えられた公務の執行を妨害しうる程度の有形力の行使であると認められ、右所為も刑法九五条一項に規定する前記公務執行妨害罪の構成要件に該当する。

ところで、本件における公務は校長の八七〇号通達等の示達行為自体を指すが、学校教育法二八条三項、五一条、地行法二六条、二三条、一四条、教育長に対する権限委任等に関する規則等の規定と一〇月二八日県教委(教育長)当局から示達方の指示を受けたこと等からして、本件示達行為は当然に校長の抽象的および具体的権限内の職務行為であつて、一応刑法法規により保護されるべき公務であると解される。(もとより公務員の職務権限は、必ずしも法令に明示されることを要しない。)さらに校長室内南側の地点から同室北側出入口方向に向つて校長が歩いて来たのは示達のためであるが、すでに午前一一時三〇分に校長室隣の職員室で示達方を予定されていたこと等の当時の状況から考えれば、まさに示達行為に着手しようとしたことが認められ、かような場合にも、「職務ヲ執行スルニ当リ」との要件を充たすものと解される。第三回公判調書中の証人金井久七の供述部分中、咄嗟に示達場所を会議室に変更しようと考えた旨の記載があるが、このことは右の解釈および被告人の故意に消長を来たさない。

以上のほか公務の適法性等に対する見解は前記二1(1) における説明と同趣旨である。

そこで以下右行為の違法性を判断する。

(2)  違法性

被告人の校長に対する本件公務執行妨害の所為の動機目的が不当な八七〇号通達等の示達に際し、その延期方を中心として校長との交渉を行つていた最中、教頭に続いて校長が充分交渉の余地を残していたにもかかわらず一方的にこれを打ち切つて右の示達を強行しようとしたため、被告人が目前に切迫した不当な示達行為を阻止すべく本件制止行為に及んだものであることはその直前における教頭に対する場合と同様のものであることが認められるから、前示二1(2) <1>に於て説示したのと同様の理由をもつて被告人の校長に対する所為の動機、目的は法律秩序全体の精神等に照らして正当であると解される。

さらに手段方法の相当性、補充性および法益の権衡性についても、教頭に対する行為の場合と同様の理由により肯定される。すなわち、なる程校長に対する暴行の程度は、すでに検討したごとく教頭に対するよりも強度ではあるが、これにより校長は二、三歩後退して身体の重心がやや後方に傾いた程度であつたこと、その態様も両肘を曲げたまま左手にはノートを持ち右手はひらいて両手を前に出し一回だけ校長の胸部付近を押したもので、とくに粗野ともいえないこと、不当と判断される通達等の示達が当時目前に切迫しており、右通達等は被告人らの重要な勤務条件に関するものであること、教頭、校長らの態度は誠実な交渉義務に反し、不当なものであつたこと等の事情のほか、被告人の分会における地位等諸般の事情を考慮するとき、被告人の校長に対する所為は緊急を要する止むを得ないものでその手段方法は相当であり、交渉を一方的に打ち切つて歩いて来る校長の姿をたまたま認めた被告人にとつて当時これに代わる適当な手段方法を見い出すことは不可能ないし著しく困難であつたことが認められる。法益の権衡性に関しても全く教頭の場合と同様である。

よつて、本件校長に対する被告人の所為もまた社会通念に照らし、法律秩序をみだすものとは言い難く、社会的に許容されたものとみるべく、結局暴行のみならず公務執行妨害全体としての実質的違法性がないから罪とならない。

(公訴事実第三について)

一  当裁判所が証拠によつて認定した事実

1 本件公訴事実における廊下の時点に至るまでの経緯

昭和三九年一一月一九日昼休み頃、沼女分会執行部では翌日の二〇日に予定されていた高教組本部における支部、分会代表者会議出席のため、分会執行委員会を開き、その席上沼女分会からは黒岩勝教諭が代表として出席することを決定したが、前示八七〇号通達の示達以降校長、教頭が従来の「組合出張」をいつさい認めなくなつた関係から、右出席のためには年次有給休暇をとる必要があつた。

ところで、右一九日には校長は午後一時頃まで在校し、その後は不在になつたのであるが、当時の沼田女子高校における年次有給休暇の請求手続は、原則として予め印刷された年休願用紙をまず教頭に提出し、教頭から校長に廻して校長が決裁(承認)する手順になつており、校長が不在の場合などは教頭が決裁を代行するよう校長から命ぜられており、事実そのように取り扱われていた。そこで黒岩教諭は、同月一九日昼過ぎ頃、まず前記年休願用紙に「支部、分会代表者会議出席のため」と記入して職員室内の教頭の机の上にこれを提出したところ、授業終了後の午後三時一〇分頃、右用紙が提出されていることに気付いた教頭は、翌二〇日にはすでに須佐義超教諭の公務出張、林竹子、加藤雪子および佐藤亘各教諭の年休がそれぞれ予定されており、当日の不在者は合計四名になるが、沼田女子高校の場合は前記五パーセント規制に従えば原則としてせいぜい三名の不在者しか認められないことになるという事情から考え、右黒岩教諭の年休は認められないものと判断し、別紙に「五パーセントオーバーのため認められません」と書き、これを右年休願用紙と共に黒岩教諭の机の上に置いた。しかし、その後黒岩教諭は教頭の立場を慮り、今度は「私用のため」と記入した年休願用紙を再び教頭の机の上に置いたが、教頭は同理由でこれを承認せず、右用紙をそのまま黒岩教諭の机の上に返して午後四時前頃から校長室で開催される生活指導委員会に出席のため同室に赴いた。

一方、同時刻頃から校長室隣の会議室において榛名教研参加者(高教組主催の教育研究集会が一一月一四日、一五日に榛名で行われたが、これに参加した中島侑三、塩田直衛、備前島恒夫、川崎浩輝および持田亘久の各教諭。)と分会執行部員である被告人および上野分会長との間で、右教研参加者につき当日の年休が拒否されてきたためこれに対する対策について話合いが行われていた。黒岩教諭は生活指導委員の一員でもあるので校長室に赴き、同室内で重ねて教頭に年休の要求をしたが拒絶された。そこでこの教頭との交渉状況を途中で会議室にいる分会執行部員等に報告した。

かくして午後四時四〇分頃になつて、教頭はかねてから午後五時ないし五時三〇分頃までに校長宅を訪問する予定だつたため、帰り支度をすべく右委員会の席を中座して職員室に戻りかけた。黒岩教諭はこれを認めるや、年休を認められないまま帰られることをおそれて直ちに会議室に赴き、同室にいた前記榛名教研参加者と分会執行部の者達に「教頭が帰る」と告げ、黒岩教諭を含めて右全員が、(ただし、持田および中島教諭は他の者より遅れて出たものと認められる。)教頭に黒岩教諭の年休を要求すべく同室から廊下に出た。この時、教頭は既に帰り支度を終えて職員室から廊下に出、玄関の方向に当る会議室に向けて廊下を西進し始めたところであつた。

2 本件公訴事実における廊下の時点での動静

かくしく会議室前廊下からは前記執行部員等が足速に教頭の方に向つて東進し、職員室前廊下からは教頭が西進していつた。そして教頭は前方にほぼ南北(左右)に並ぶようにして近づいてくる数人の教諭達の姿を認めてひよつとすると乱暴されるかも知れないと即断したが、廊下北側の方に上野分会長を認めたので、同人なら年配者でもあることから安全だと思惟して廊下北側方向に足速に寄つて行つた。その頃上野分会長や黒岩教諭等から年休要求があつたが、教頭はこれを拒絶しつつなお接近し、校長室付近北側廊下で、右教諭らと正対した。しかし、その直後教頭は廻れ右してもと来た方向に引き返し公仕室から西門を通つて上履のまま校長宅へ急いだ。そして右正対した際、被告人と教頭とが接触したことは認められないではないがその態様および程度等に関しては後記のごとく証明がない。

3 証拠等

<証拠省略>を総合してこれを認める。

そこで廊下における被告人の教頭に対する有形力の行使の有無につき前示のように認定した理由を証拠に即して以下説明することとする。

証人小淵正巳は当公判廷において、自分が廊下北側に寄つていつたら被告人も寄つてきたので立ち止まつたら、被告人は腕を組んで肘でみぞおちの所を突き上げるようにして突いてきた。そしてその結果、廊下北側の腰板の上にある窓の敷居に自分の右太ももがあたつたが、そのため転倒しないで済んだと供述しており、第三回公判調書中の証人金井久七の供述部分においても当日教頭から右のごとき被害を受けたことを聞いた旨の記載がある。

ところで前示検証調書二通を総合すると、被告人が廊下において教頭と対面した位置は教頭と同様廊下北側であつて教頭の面前近くにいたこと、および被告人のほか黒岩、上野、備前島、川崎、塩田各教諭が相接着して教頭の面前に左右(南北)になつて対面したことがそれぞれ明らかであり、さらに証人備前島恒夫の当公判廷における供述等によると被告人等が教頭の方に向つて接近して行つた際に備前島教諭が「挑発にのるな」と発言しており、被告人等が黒岩教諭の求めに応じて会議室を出た状況を併わせ考えると、当時の廊下における状況としてはかなり緊迫した雰囲気であつたことが認められ、また、第三回公判調書中の証人金井久七の供述部分によれば、教頭は上履のまま緊張した面持で校長宅に赴いたことが認められる。

しかしながら、本件現場においてただ一人被告人から暴行を受けたと称する被害者たる教頭の当公判廷における本件公訴事実に関する供述は、その目撃状況の観察および記憶が極めて不正確かつ曖昧であること、その場に居合わせた数名の教諭がことごとく被告人の教頭に対する暴行を否定しており、被告人もまた一貫して否認していること、およびその他教頭小淵正巳の前記供述を信頼せしめるに足る証拠が存在しないこと等の点を総合すると、廊下における各人の位置関係等の当時の状況からして教頭と被告人との間になんらかの接触があつたことは認められないではないが、進んでいかなる態様のいかなる程度による有形力の行使があつたものか不明であり、当裁判所としては本件公訴事実につき多分に疑いを抱きつつも確信までには至らなかつた。そこで、「疑わしきは被告人の有利に」との法諺に従つて本件被告人の教頭に対する暴行行為は証明なきものと断ぜざるを得ない。

二  この項の結び

以上により明らかなごとく本件公訴事実第三については、被告人の教頭に対する暴行行為自体証明がないから、職務強要罪全体としてもその証明なきこととなる。

(公訴事実第四について)

一  当裁判所が証拠によつて認定した事実

1 本件公訴事実における職員室の時点に至るまでの経緯

(1)  群馬県職員労働組合連合会(以下「県職連」という。)主催の「大巾賃上げ要求貫徹県職連決起集会」に対する県教委当局の対策について

県職連(高教組のほか群馬県職員労働組合および群馬県教職員組合の三者で構成。)では、恒例の年末闘争の一環として、「大巾賃上げ要求貫徹県職連決起集会」の名称をもつて昭和三九年一二月一〇日大巾賃上げのための集会および示威行進を行うことになつていたが、同年一一月末ごろ県教委当局ではこれに関する高教組の資料(昭和四〇年押第六一号の二)を入手し、高教組については三〇〇名の動員が予定されていることを察知し、協議の結果、右は群馬県高等学校教職員数約三、〇〇〇名の一割に当るため校務の正常な運営を阻害するものと決定し、教職員課長河野好雄は、人事第一係長中野敏宗に命じて同年一二月八日県立学校長を三ブロツクに集め、各学校長に対して、「当日の集会は争議行為のおそれがあるのでこれに参加するための年休はいつさい認めないこと(五パーセント規制は問題にならない)」、『しかし、当日の年休がすべて認められない意味ではないから各校長がよろしく対処すること』、『当日たとえ個人的理由ということで年休を得ても集会に参加すれば後に取り消され処分の対象にもなること」の三点を指示せしめた。

ところで沼田女子高校長金井久七は、右一二月八日の三ブロツク会議には都合により出席しなかつたが、その前日の七日みずから県教委教職員課に電話をして中野第一係長から右八日における三点の指示と同様の指示を受けた。

(2)  沼田女子高校における経緯

昭和三九年一二月九日午前八時二〇分頃から開かれた職員朝会の席上、校長は職員に対し、「明日の県職連の統一行動は、争議行為のおそれがあるから参加してはならない。これに参加するための年休は五パーセント規制に関係なくいつさい与えない。なお、個人的事由によつて休暇をとつた者も、参加したことが判れば処罰の対象となる。」旨を指示した。

これに対し、沼女分会では同日昼休みに分会会議を開いたところ、右校長の指示につき大巾賃上げを要求することを禁止するのは不当であるとの意見が強く、方針どおり年休をとつて参加することを決定し、校長に対する年休要求についての交渉は分会執行部に一任した。このため同執行部では右会議に引き続いて執行委員会を開いた。これより先、沼女分会には支部委員会により五名の動員が割り当てられていたが、右執行委員会の協議の結果、結局翌日都合のつく被告人と黒岩教諭の二人だけが参加することに決定した。

かくして放課後の午後二時四〇分頃から午後五時二五分頃までの間にわたつて、はじめは校長室において約一時間、次に会議室において約三〇分、その後さらに校長室、会議室と交渉場所を移動しつつ執行委員その他の分会員二〇名位と校長および教頭との間で、翌日の県職連主催の集会参加のための被告人および黒岩教諭の年休要求を中心とした交渉が続けられた。しかし、右交渉中を通じて被告人および黒岩教諭をはじめとする分会員らはなんとかして年休を承認させようと主張し、校長および教頭は県教委当局の指示が既に出ており、また、自分達自身も同指示が妥当であると思惟したため、右年休要求を全く認めない態度に終始し、結局話合いのつかないまま午後五時二五分頃会議室において校長は交渉を打ち切つて帰宅すべく校長室に立ち戻り、教頭もまた同様に校長の後から会議室を出て職員室の自席に戻つた。校長および教頭が会議室から出る際も被告人および黒岩教諭は重ねて年休の要求をし、拒絶された。

なお、沼田女子高校においては、芝崎教諭の年休、山田、田村各教諭および桑原事務長の公務出張が一二月一〇日当日予定、承認されていた。

2 本件公訴事実における職員室の時点での動静

右のようにして職員室の自席に戻つた教頭のあとから、まもなくこれを追うようにして黒岩教諭および被告人が教頭の席付近でさらに年休願用紙をそれぞれ手にして年休の要求をしたが、教頭はこれを拒絶し、帰り支度を整えてからかばんを持ち、帰宅しようとして職員室出入口方向の北方に向けて二三歩前進し、被告人および黒岩教諭もこれにつれて教頭の方を向いたまま後退して右教頭の自席から約二メートル離れた佐藤亘教諭の机付近に至つた際、被告人は教頭に対し帰宅を遮ろうとして、その右前胸部付近を左手手掌で一回押しあてて同人を制止した。このとき教頭は「これは暴力ですよ。」と大声で言い、被告人および黒岩教諭の間を通つて職員室出入口付近にいた校長と足速に退出した。

なお、右被告人の制止行為のほかはその前後において教頭に対する有形力の行使があつたことは後記のごとく証明がない。また、被告人の右の行為により教頭の上体が多少うしろに傾いたことは認められるが、その際右の行為により教頭に対し安静約一週間を要する右前胸部筋痛症の傷害を負わせたとの点も同様証明がない。

3 証拠等

以上1ないし2の各事実は、<証拠省略>を総合してこれを認める。

ところで前記認定に関し、とくに重要と思われる点について以下説明を加える。

(1)  職員室における教頭に対する行為

<1> 佐藤亘教諭の机付近における判示制止行為を認定した理由について

まずこの点につき、被告人は当公判廷において右制止行為を否認する趣旨の供述をし、証人黒岩勝および同本多宇十郎の当公判廷における供述も、いずれも被告人は教頭の身体に接触したことすらない旨を述べている。

しかしながら証人真柄真の当公判廷における供述によると同人は判示のごとき被告人の制止行為を目撃しており、その供述内容は証人小淵正巳の当公判廷における供述中の被害状況と場所、態様等において一致しているのみならず全体を通じて誇張はなく、ほぼ一貫しており、その信憑性は高いものと認められ、さらに判示のごとき当日の職員室の時点に至るまでの経緯、証人真柄真および被告人の当公判廷における各供述等を総合すると、本件職員室における被告人および黒岩教諭と教頭との年休要求をめぐる話し合いは互いの立場を主張して譲らず、緊張した雰囲気にあつたことが認められ、また、教頭が被告人らにかまわず帰宅しようとして同人らと対面したまま二、三歩歩いた状況を併わせ考えると、被告人の判示制止行為は明らかに認定されるのであり、これに反する前記黒岩および本多の各供述は措信し難い。

<2> 教頭の自席付近における被告人の教頭に対する暴行行為が認定されない理由について

本件公訴事実中には、被告人が右手手拳で教頭の右前胸部を一回突いたとの部分があり、証人小淵正巳の当公判廷における供述も、自席で右のごとき暴行を受けた旨を述べている。

すなわち「そして二人の間を抜けて帰ろうとしたわけでございますが、このときに松本先生が腰のへんに右手の握りこぶしを置いたのが見えました。で突然右の乳の下のへんを強く突かれました(一一五一丁)。」と述べ、さらに右の直後の状況については「体がうしろへ動きましたですが、自分の机のところにふとももでしようかそれが当つたので踏みとどまつたんだろうと思います。あと足を前 後に開いていた関係で(一一五五丁)。」と述べている。

しかしながら当裁判所はおおむね以下の理由により右事実は認定しなかつた。

まず右小淵の供述自体において変遷はあるが、結局教頭が「これは暴力ですよ」と言つたのは判示のごとく教頭の自席から二、三歩歩いた後の被告人に制止された時であることが認められるところ、それよりも以前の時点において、しかもより強い暴行行為があつたというにもかかわらずその時点においてはなんらの発言もなされなかつたこと、証人真柄真の当公判廷における供述によると、教頭の自席の直ぐ向い側に席を占めていた同人は帰り支度をしており、判示認定の制止行為の際にはそのときの雰囲気でこれを目撃し得た旨を述べているのであるが、自己により近い教頭の自席でより強い暴行行為があつて、このため教頭が机に太ももを当てて踏みとどまつたような事態が生じたというにもかかわらず右真柄はこれになんら気付かなかつたことがそれぞれ認められるのであり、結局本件公訴事実中のこの部分については、証明がないものと判断せざるを得ない。

<3> 前示認定の制止行為について

証人真柄真および同小淵正巳の当公判廷における各供述により、被告人は佐藤亘教諭の机付近まで歩いてきた教頭に対し、その帰宅を遮るために多少前屈みになり、左肘を自己の身体からやや離して左腕をあげて左手手掌を教頭の右胸部付近に一回押し当てて制止したこと、このため教頭の上体は多少うしろに傾いたことがそれぞれ認められる。しかし、教頭はこのため別に後退させられたようなことはなく、そのまま前進した経緯からみてもその制止行為は軽度のものであつたと判断される。

(2)  傷害の点について

証人小淵正巳の当公判廷における供述によると同人は本件職員室における被告人の暴行によつて翌朝(一〇日)頃から右前胸部に痛みを感じ始め、右手を使用するときにはとくに痛みを感じ、その痛みは翌年の三月はじめ頃まで続いたと述べており、右供述のほか証人真柄真の当公判廷における供述、第五回公判調書中の金井久七の供述部分および医師南作次郎作成の昭和三九年一二月一〇日付診断書等を総合すると、教頭が校長や真柄教諭らに右痛みを訴えたこと、一二月一〇日に校医南医師に診察を受け、安静約一週間を要する右前胸部筋痛症と記載された診断書を受けたこと、その後も教頭は翌四〇年一月二五日、二月一四日と南医師のもとを訪れ、同月一五日には群馬大学付属病院において診察を受けたこと、その間同年一月二七日から同月三〇日まで右傷害を理由として学校を休んでいることがそれぞれ一応認められる。

そこでまず医師の診察状況ならびに診断結果について検討するに、証人南作次郎の当公判廷における供述によると第一回目(一二月一〇日)に関しては問診および圧診に際して自発痛はないが右手を使用したり右前胸部上方に力を加えたりすると同所に痛みを覚えるとの教頭の訴えがあつたけれども、視診、触診および聴診による診察の結果はいずれも異常なく、治療についても注射とか湿布などをする必要がないと判断して一応アリナミンをのむよう指示しただけであること、アリナミンは従来本人が服用していたため服用方法などにつきなんらの指示も与えなかつたこと、第二回目(一月二五日)に診察した際も右一回目と同様のものであつたこと、前記南作次郎作成の診断書記載の右前胸部筋痛症というのは、「あまりはつきりしないが一応そのように名付けた」ものであり、「なんらの症状もないため、打撲症といわずにきわめて一般的な意味で筋痛症と名付けた」との事情がそれぞれ認められ、さらに群大病院で診察した証人芹沢憲一の当公判廷における供述および群馬大学附属病院整形外科外来患者病歴表によると、二月一五日教頭に対し臨床的診察およびレントゲン検査を行つたが、結局異常は全く認められなかつたことが認定される。

ところで刑法にいう傷害とは生理的機能の障害ないし健康状態の不良の変更を意味すると解されるから、患部に継続的な苦痛を覚え、その程度が一般日常生活において看過できないものであるならばもとより傷害に当るもとの判断されるべきであるが、しかし、それは本人の訴えが中心になる場合であるから、本人が訴えていることの信憑性につき他の事情を総合して慎重に判断されるべきである。

そして本件の場合には、まず南および芹沢両医師の診断、治療方法などについて検討した結果前示のように結局は本人の訴えのほか異常は全く認められなかつたことが明らかであり、とくに南医師は本人の訴えがあつてもきわめて軽度なものと判断したことがうかがわれる。

また、前記証人芹沢の供述によれば二月一五日教頭を問診した際教頭は「こぶしで突かれて右胸部に受傷後二、三日はあまり症状はなかつた。二月一五日現在では症状はほとんどない」旨述べており、教頭の当公判廷における前記供述と異ることが認められ、さらに前記教頭の供述によると職員室における教頭の自席付近で受けた暴行により苦痛を感じた旨述べているが、前示のごとくそもそも右の被告人の行為は認定しえないこと、当裁判所によつて認められた職員室における被告人の教頭に対する行為の態様および程度はむしろ軽度であつたこと等の諸点を総合して考慮すれば、教頭の右前胸部筋痛感は同人独りが訴えるのみでこれを首肯せしめるだけの事情は他に本件全記録によるも全く見当らない。

従つてこの点に関する前記小淵の供述はたやすく措信し難く結局本件公訴事実中傷害の点は証明がないものと判断される。

二  被告人の教頭に対する行為の法的評価

1 構成要件の該当性

前示当裁判所が証拠によつて認定した事実中職員室で被告人が教頭に加えた制止行為は、被告人および黒岩教諭の翌日(一〇日)の年次有給休暇の承認(年次有給休暇願用紙の受理等を含む)をなさしめる目的をもつて行われた暴行行為と認められるから、刑法九五条二項の職務強要罪の構成要件すなわち「公務員ヲシテ或処分ヲ為サシメ若クハ為ササシムル為メ又ハ其職ヲ辞セシムル為メ暴行又ハ脅迫ヲ加ヘタル者」に該当する。

そこで以下右に関してとくに重要と思われる点につき説明を加えることとする。

まず本罪の構成要件中「処分」の要件に関して被告人は教頭に対し年次有給休暇を請求し、同人から「承認」を得ることを目的としていたものと認められるが、当時は校長が在校しており、また、特段の事情が認められないから、いわゆる「承認権」は校長にあり、教頭は当時年休願用紙を受理して校長に決裁を求める権限があつたに止まると解せられる(学校教育法施行規則二二条の二、六五条、昭和四一年県教委規則一三号による改正前の群馬県立高等学校管理に関する規則一四条三項参)。

しかし、本罪における「処分」とは当該公務員の職務に関係ある処分であれば足りると解されるし、また仮りにその職務権限内のものであることを要する立場に立つても被告人の承認方要求の中には年休願用紙の受理等をも含む趣旨と解されるから問題はない。

2 違法性

被告人の教頭に対する本件所為が職務強要の構成要件に該当してもこれをもつて直ちに実質的違法性を有するものではないから、次にこの点について検討することとする。

(1)  目的の正当性

本件被告人の所為の動機、目的が正当であつたか否かの点に関しては、第一に県職連の大巾賃上げ要求貫徹のための決起集会への高教組の参加に対しとられた県教委教職員課長河野好雄の三点にわたる指示の当否、第二に一二月九日午後からの校長、教頭と分会側との本件交渉およびこれに対する校長、教頭の態度の各当否をそれぞれ考察する必要がある。

(第一点について)

前記河野の三点にわたる指示の中核は、要するに高教組は三〇〇名の動員を予定しているが、これは全体の一割に当るため校務の正常な運営を阻害し争議行為のおそれがあるから、本件集会に参加するための年次有給休暇はいつさい認めないというものであるが、争議行為と年次有給休暇の関係については次のように解すべきである。

すなわち、群馬県高等学校教職員については、本件公訴事実第一および第二に関連して明らかにしたように労基法三九条により年休権が認められ、昭和四一年条例四一号による改正前の群馬県立学校職員の勤務時間その他の勤務条件に関する条例八条の適用があるものであるが、右年休権の性質は教職員の時季指定権であり、承認権者とされる県教委(具体的には校長が取り扱う。)としては校務の支障あるときにのみ時季を変更できるものであつて、変更しない限り休暇は指定された日に決定されることになることも既述のとおりである。また、有給休暇の利用目的は、一般の休日と同様教職員の自由であつて、個人的なものであると組合用務のためのものであるとで差別を付けることは許されず、県教委としては具体的に教職員から年次有給休暇の日が特定されてきたときに、あくまでも年間の計画、各校の当日の日程、人員補填の可能性等諸般の事情を、純粋に校務の支障性の面からのみ判断して時季の変更をするかどうか決すべきである。もつとも地方公務員たる教職員の場合には争議行為が禁止されており(地公法三七条)、校務に支障あるときは時季を変更することができる旨を規定する法律および条例の趣旨から考えて休暇請求が全員による一斉休暇闘争などのように何人の目からみても明らかに争議目的のもとになされるものと確認される限り、県教委としてもその効果を否定できるものと解される。

しかし、本件の場合は高教組としては三〇〇名動員が予定されていたに過ぎず、また本件高教組の県職連主催の集会参加については、証人金子毅の当公判廷における供述によると数年来恒例として行われて来たもので、参加数も本件におけると同様、全体の一割位であつたこと、従来は県教委当局としても右参加については黙認の形をとつていたこと、本件集会参加について高教組としては八七〇号通達示達後の関係もあつて年次有給休暇の請求により実施しようと考えていたことがそれぞれ認められ、以上の点から考えても本件一二月一〇日に予定されていた県職連の決起集会は明らかに争議目的のもとになされるものと確認することができず、従つて県教委としては集会参加を予め全面的に否認するようなことはできないのであつて、本則どおり個別的、具体的に検討して校務に支障を及ぼすかどうかを判断して行かなければ当日の年休を拒否できない。教職員課長河野の本件指示自体の中に年次有給休暇を否認する理由として、争議行為の「おそれ」があるということを掲げているが、かように不明確な推量で労働者の権利たる年休権を全面的に否認するのは労基法三九条および前記勤務条件に関する条例八条の趣旨に反し著しく不当であるといわざるを得ない。なお、一二月一〇日当日行われた県職連の賃上げ要求貫徹のための決起集会については、司法警察員作成の捜査報告書等本件全記録によるも右集会の結果実際に校務に支障を及ぼしたものとは認められない。

(第二点について)

本件校長と分会執行部を含めた分会員との間の年次有給休暇の要求に関する交渉は、公訴事実第一および第二に関して述べた一一月二日における交渉と同様、交渉事項の内容、沼女分会の組織と実体、校長、教頭の休暇事務についての権限等につき検討、考慮するとき、昭和四〇年法律七一号による改正前の地公法五五条、昭和四一年条例三七号による廃止前の職員団体の行う交渉に関する条例の諸規定に照らしても保護に値する交渉と解すべきところ、前記教職員課長の不当な指示を妥当なものと思惟して右交渉を通じて終始全く被告人らの要求を聞き容れなかつた校長および教頭の処置もまた不当なものであると解される。

また、前示のごとく沼女分会には五名の動員が予想されてはいたが、現実に要求してきたのは被告人および黒岩教諭の二名だけについてであつたのであるから、校長、教頭としては具体的に右二名の年次有給休暇を認めた場合の校務の支障性について検討すべきであつた。教頭は右に関し当公判廷において、職員室で当日は芝崎教諭ほか三名が不在者として予定されていることをも年休拒否の理由として被告人らに説明したと述べているが、しかし、それとても具体的に校務の支障性を検討した結果ではなく、すでに明らかにした不当な五パーセント規制を基準にしたものであるし、むしろ教頭、校長としては県教委からの指示どおり五パーセント規制にかかわらず年休を認めないという態度に終始していたと認められるから、右はなんら教頭、校長の処置を正当化するものではないし、現に被告人ら二名の年休を認めたとしても直ちに校務に支障を及ぼすものとは認められない。五名の動員予定をとくに二名にしぼつて配慮した点に思いを至すべきである。

かくして被告人の本件教頭に対する所為に至るまでの経緯をかんがみると、被告人らは県教委当局および校長、教頭らの不当な年次有給休暇の拒否に対し極力校長らと交渉を重ねて諒解せしめ、自己の権利実現に努力したものの結局校長らの容れるところとならず、被告人らはさらになんとかこれを認めてもらうべく職員室で帰り支度をしている教頭に要求したところにべなく拒否されたあげく、教頭は帰宅しようとして要求し続けている被告人の前に歩き出して来たため、被告人は教頭を制止して自己の年休権の実現を図ろうと思い本件所為に及んだものであつて、その動機、目的は法律秩序全体の精神にかんがみ違法とはいえない。

(2)  手段方法の相当性、補充性および法益の権衡性

被告人が教頭に対し本件所為に及んだ直前の状況はすでに明らかなごとく当局および校長らの不当な見解のゆえに自己の年休権がまさに侵害されようとする緊急の状態にあり、しかも教頭が帰宅してしまえば右の侵害が現実となり、翌日の年休は実現不可能になるため教頭との交渉を続行して年休を実現すべく同人を制止したものであり、年休の目的が生活権に直結する賃金引上げ貫徹のための集会参加であつたこと、年休の「承認」を得ないで右集会に参加した場合には県教委当局からの処罰が予想されたこと等の事情に加えて、すでに認定したように制止行為の態様、程度が有形力の行使の中でも軽度のものであること等の点を考慮すれば本件所為は緊急を要するやむを得ないもので、その手段方法は相当であり、また当時の被告人の立場からはこれに代わる適当な手段方法を見い出すことが不可能ないし著しく困難であつたことが認められる。年休請求の関係を法的に解すればすでに年休願用紙の受理すら拒否しているのであるから被告人らの翌日の年休は、客観的に校務に支障を及ぼすものとは認められない本件にあつては、請求と同時にその効果が発生しているものと解されるが、校長らが現実に休暇を承認しない限り認めないという立場に立つている以上、実際の問題として休むことができないのであつて、被告人の本件所為はやはりやむを得ないものである。

最後に被告人の制止行為によつて侵害された法益の価値程度は、公務の適正と公務員自身の身体の安全性の両面から考慮しても、被告人の本件動機、目的の保護に比較すると軽小であると判断するのが相当である。

よつて以上の考察を経て本件被告人の所為の実質的違法性を判断するに、本件所為は、法律秩序をなんらみだすものではなく社会的に許容されたものと解すべきであり、従つて暴行のみならず職務強要全体としての実質的違法性がないものと認められるから罪とならない。

第三結論

結局、本件公訴事実第一、第二の各公務執行妨害の事実および第四の職務強要の事実については被告人の各行為はいずれも実質的違法性を具備しないものとして罪とならず、本件公訴事実第三の職務強要の事実および第四の傷害の事実についてはいずれも犯罪の証明がないことに帰するから、被告人に対しては、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をすべきものである。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 三橋弘 伊沢行夫 大田黒昔生)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例